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弦哲也のプロフィール。家族や年齢、生い立ちは?作曲した「天城越え」「北の旅人」の誕生秘話は?

出典:[amazon]音楽生活45周年記念 弦哲也~弾き語りの世界~

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作曲家の弦哲也さんを色々な角度から掘り下げていきます。

プロフィール

  • 芸名 弦哲也 (本名 田村正稔)
  • 生年月日 1947年9月25日
  • カテゴリー 作曲家、歌手
  • 活動開始 1965年
  • 所属レコード会社 テイチクレコード

プロフィール。家族や年齢、生い立ちは?作曲した「天城越え」「北の旅人」の誕生秘話は?

音楽業界で仕事を始めた当初は、歌手としてデビューしました。芸名を、田村進二その後1968年に弦哲也に改名しました。二年間歌手活動をした後、1970年から5年間北島三郎さんのバックミュージシャンとして日本全国や海外のコンサートに同行していました。

その際に作曲家転身を進められ、1976年内藤国夫棋士の『おゆき』が作曲かデビュー作。

二年後、NHKのあなたのメロディー年間コンテストにて与作を発表しグランプリを受賞しました。

この後暫くは、歌手と作曲家の二足のわらじを履いた活動を継続し芸名も歌手として弦てつや、作曲家弦哲也、として使い分けをしていました。1986年から作曲家に専念することになりました。

1999年に、レコード大賞吉田正賞を受賞。作曲家活動55年を迎え作曲した曲の数は2500曲を超えており、現在も活動を継続しています。ここからは少しプライベートな部分に入っていきます。

家族については、息子さんが田村武也さんで長男。現在は音楽プロデューサーをやっています。子供は一人のようで奥さんは一般の方でプライベートな情報はありませんでした。今後どこかでインタビューを受けるともっとプライベートが明らかになる可能性があります。

年齢については、1947年生まれ72歳。現在も活動をしているためまだまだ曲が出てきそうな感じがありますし、年齢を重ねるほど演歌というジャンルと親和性が増してくるのでは無いかと感じてしまいます。

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続いては生い立ちについて書いていきます。千葉県の銚子市出身で現在も地元でお父様が暮らされているようですが、具体的な学歴や生い立ちについて書かれている記事等はありませんでした。

続いては作曲家としてリリースした「天城越え」「北の旅人」について書いて行きます。「天城越え」は、石川さゆりさんに提供した楽曲で、1985年、弦哲也、吉岡治、桜庭伸幸の3人で伊豆市の白壁荘と言う温泉旅館に籠り石川さゆりにしか歌えない難しい歌をという事をコンセプトに作られた楽曲です。

当時世の中はカラオケブームの始まりかけで、そのブームも手伝いこの曲を歌うカラオケファンも多く存在しました。石川さゆりさんが簡単そうに歌うので自分達も歌えると思ってしまい、挑戦する人が多いのだろうと考えます。

しかし実際歌うと、かなり難易度は高いのですが、それでもまた歌ってしまう中毒性がある楽曲だと思います。実際通信カラオケDAMが1994年~2018年の間にどの曲がどれ位歌われたのかを集計したところ天城越えは演歌部門で最も歌われた曲で全体でも4位に入り込む奇跡を起こしました。

この曲で石川さゆりさん自身も第28回日本レコード大賞・金賞受賞曲、紅白歌合戦でも18回歌唱しています。続いては、「北の旅人」、北海道に旅行している際に作曲され石原裕次郎さん死後に追悼盤としてリリースされた楽曲です。

売上枚数は125万枚を記録しオリコン週間1位を初めて獲得した楽曲でもあります。また、レコーディングした場所はハワイと言う当時の景気の良さを伺わせるエピソードがあります。

まとめ

今回は弦哲也さんを掘り下げてきましたが、現在も体調的に問題が無く活動を継続しています。演歌界では若手ベテラン問わず楽曲提供しており、交友関係の広さもびっくりするほどの広さです。

また、作曲家だけではなく歌手を経験しているというのも、作曲家としてやっていくには良い経験になっているのかも知れません。キャリアが現時点で55年を数えており2500曲を超えているという事で今後も名曲が誕生する可能性は否定できません。

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